スィー ツ オ ア シ ス にようこ そ和菓子はつなぐ〈菓子歳時記〉その31法人会会員「岡谷精良軒」 原昭徳て下さる。法人会のような経済団体つながりの方はもちろん、学生時代の友人、昔近所に住んでらした方、親類縁者。これらの方々は私の、に限ったことではなく、家族やパートさんの〇〇という場合もあったりする。知り合いでないが中学生が、生菓子を買いにくることもまれにある。ネット社会になって最近はあまりないが、以前は外国の方が道をたずねに、ということも年に数回あった。招かざる的なことはほぼなくて、和菓子店というのれんが、そうさせているように思う。た。Kさん一家が、千葉県の木更津より訪れて下さった。どなたも顔見知りではない。セピア色がかった白黒の結婚式の集合写真を手に、私と同世代の奥さまが、話を切り店を開いていると、いろんな人がおとずれ霧雨の十月、土曜日のお昼過ぎのことだっ出した。そのとき、言葉一つ一つを心に置いて、それを静かにご自身でも確かめるような、揺るぎのない意思を感じた。昭和四十五年、御尊父のご婚礼のときのものだという。そのお父さまの祖父が、うちの曾祖母と兄弟であった。あなたと私は、遠縁にあたるということだった。そういえば事務室に飾ってある曽祖父母らの写真を思い出し、お見せした。何のタイミングで撮ったかはわからないが、店舗前で職人さんや学生だった父も写っている。興味深く拝見され、ご健在なお父さまに見せたいと写真を撮っていかれた。ご結婚式のお写真を私も取らせていただいた。古くからの弊店取引先の紙箱屋さんとも長い縁があるとのことで、奥さまは幼少の頃、諏訪を何度か訪れたことがあるとも。またお菓子を求めにきたいとおっしゃり笑顔で弊店をあとにされる。申し訳ないことに木更津といえば、東京湾アクアラインと木更津キャッツアイ(TVドラマ)位しか思いつかなかった。遠い親戚がいるなどとは思ったこともなかった。後日母が、表紙に住所録と書かれた古い大学ノートを持ってくる。そのノートは、店の写真と同時代だろう。一ページ目に、Kさんのお父さまのお名前があったのだった。自店前の曽祖父母と職人さん達。昭和 37 年頃と思われる
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