すわほうじん150号
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広=北原広報委員長 佐=佐々木社長広 当時は確か専売所といって、酒、味■、醤油などを量り売りし4「岡谷の老舗みそ蔵 喜多屋味■醸造店」「製糸の町岡谷」のモノづくり精神を食で伝える小さな味■の蔵元にお邪魔し、4代目社長の佐々木一夫様にお話しを伺いました。広 本日はお忙しい中又コロナ禍で大変な時期にご対応いただきありがとうございます。さて早速ですが御社の社是、社訓をお聞きしたいのですが。佐 社是は「誠意ある食品づくりを通じ社会に貢献する」です。  社訓は、 1.常に感謝の心を持つ 2.更なる独自性の追求  3.自ら進んで事にあたる。 の3点です。広 創業時のエピソードなどありますか。佐 祖先は四国香川の出身です。塩尻で大きく農園をやっていたそうです。喜多屋の初代は、酒蔵で修行し製糸業で活気のあった岡谷で酒類販売を始めました。ていた様ですね。佐 昭和7年製糸業界のピークが過ぎたころ、銀行からの薦めで製糸工場内にあった女工さんの食事用味■工場を買い取り味■醤油製造に参入しました。来年90周年を迎えます。広 製糸博物館の資料に、昭和5年最盛期には女工さんが34,000人おり、3食とも具を違えて味■汁を出していたとありましたが。佐 ほとんどの製糸工場が自前で味■を用意していました。また麹屋があり製糸工場に麹を下ろしていたそうです。女工さんは味■汁の旨い工場に人気があったそうです。広 岡谷の味■も製糸業とともに発展して行ったのですね。佐 確かに製糸業が大きく関係しています。世界大恐慌やナイロンなどの人口素材が開発され、製糸業は衰退の一途をたどり、第一次世界大戦で製糸工場は軍需工場に代わり疎開してきた企業が精密機械工場として転用されました。広 製糸業の衰退とともに味■業界も衰退したのですか。佐 いえ、逆に商魂たくましい諏訪人は各社の味■造りのノウハウを生かし、味■製造に転身を図り関東大震災や戦後の食糧不足も手伝って「味■」は飛ぶように売れたそうです。昭和30年頃岡谷だけでも40社を超える味■蔵があり、味■の日本最大生産地を誇りました。各味■蔵には野球チーム。があり後楽園球場で味■屋対抗の野球大会がありました。わたしも小さい頃事務所の片隅にホームベースなど野球の道具があったことを覚えています。広 諏訪地域の人々は勤勉で研究熱心そして懸命な努力者ですからですね。佐 日本最大の味■生産地を記念して建てられた大きな鉄骨の広告塔が、今でも中央線からよく見える岡谷の横河川沿いに残っています。広 私も精密製造業を営んでいますが、諏訪地域の人々はこだすわほうじん 第150号 (第三種郵便物認可) 令和3年11月1日発行わりがあり、自社も信頼のおける原材料(金属)から吟味し、お客様から本当に喜んでいただける製品づくり、そして信頼関係を培うため日々戦っています。       佐 昭和24年に岡谷の34の業者の出資で日本で初めての味■研究所が岡谷に誕生しました。  31年には岡谷味■研究所に改組し、酵母や乳酸菌の研究に取り組み日本で初めて実用化に成功しました。信州みその発展のルーツは実は諏訪地方にあると言っても過言ではないかと思います。広 諏訪地区は製糸業から精密に転換、東洋のスイスとまで言われた時代がありました。どちらかというと精密をはじめとする製造業のイメージが強かったので「味■」の一大産地だった事には驚いています。まさに食である味■ありきの諏訪地方ですね。佐 今年で70回を数える長野県の味■品評会は日本一の歴史を誇ります。信州みそは出荷量でも日本一を誇っています。これは大手のメーカーが機械化の体制にいち早く転身し、販路や生活形態の変化に柔軟に対応したのが大きな要因かと思います。出汁入りなど簡素化にも取り組み、包装資材も様々なものが出ていますよね。広 よく旅行へ行ったときなど地元の伝統食品を味わいますが、最近その地方感、季節感などの個性を感じない食品、食材が多くなっている感がありますが。伝統食品の今後のあり方についてお考えをお聞かせ下さい。佐 伝統食品と言っても古くからあるままが大切だとは思いません。特に生活や身体をより豊かに、健康にと高まるニーズに対して、どのようなサービスが提供できるのかを考えいつの時代でも変化してこそ現在があります。そして過去失われたかの物の中にも再発見で現在でのニーズが存在します。伝統のイメージだけ押しても、「本質」が見えなければ不要の産物と化してしまいます。広 伝統食品にかぎらず、どんな産業にもありますよね。佐 「発酵」という世界は多種多様で常に新たな驚きを見せてくれます。広 御社には確か納豆菌を使った味■がありますが、味■、酒などの業界では、「納豆を食べた者は工場に入るべからず」と言われるくらいご法度の納豆菌を使ってなぜ味■を造ろうと思ったのですか。又御社を代表する味■「雪娘」の生い立ちと併せお聞かせください。佐 まず、「雪娘」ですが味■品評会に出品し入賞した味■が原点です。喜多屋の味■造りを引き継いで25歳の時から私の作った味■を品評会に出品していますが、最初は初心者の悲しさ、上位入賞できる味■は出来ませんでした。諏訪には味■の技術会というものがあり、同業他社の技術者の交流佐々木社長と北原広報委員長発酵菌の多様性が「味噌」に変化を与え、新しいものを創出!企業紹介会員見聞録

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