すわほうじん 141号
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㈱アルティスタ人材開発研究所 代表 玄間千映子【筆者略歴】玄間千映子(げんま・ちえこ) ㈱アルティスタ人材開発研究所代表。國學院大学卒。米インマヌエル大学大学院卒後、米スタンフォード大学ビジネススクール修了。財団法人日本船舶振興会(現日本財団)役員、国会議員各秘書を経て1994年に前身の(有)アルティスタを設立し代表に。2006年現社名に改組。日本経済大学大学院非常勤講師、(一社)水底質浄化技術協会監事などを兼任。著書に「ジョブ・ディスクリプション一問一答」「リストラ無用の会社革命」など。ちょっと一息!コーナー「お疲れさま」から考える 労働力確保が命題となっている昨今では、どの職場でも外国人労働者の活用は必須です。他国の人々との協働を考える時、「ロウドウ」文化の違いを知っておくのもコツの一つ。そこで今回は、「お疲れさま」というかけ声から、「ロウドウ」文化の違いをのぞいてみよう。 「お疲れさま」。ひと仕事終わると、その働きへのねぎらいの声掛けが誰からともなく起きるのが日本だ。日本では、働くことを上下なく「ねぎらう」のだ。ところが、もともと身分格差が激しく、奴隷に生産活動を担わせていた他国では、上下なく「ねぎらう」という文化は希薄だ。 「ねぎらう」は、相手をいたわる気持ちの表現だから、「お疲れさま」の後ろに続くのは、「一息ついて」とか、「ありがとうね」「もう一働き、頑張ろう」という励ましだ。そこには風通しの良さとか、明るさを感じることができる。課題に共に向かう姿勢が、そこにはある。 ところで「ねぎらう」を漢字で書くと「労う」となる。「いたわる」を漢字で書いても、「労る」となる。「労」の読み音は「ロウ」だから、「働く」の前にロウが付くと、「労働」となり「ろうどう」となる。この労働という言葉に続くのは、労働災害とか労働組合といった、対峙する姿勢がつきまとう言葉が続き易く、働くという活動に喜びとか愉しさといった気配は薄い。 「労う」と同じ「労」という文字であるにもかかわらず、「労」の読み方を変えただけなのにこうまでイメージが変わるとはと驚きだが、日本が文字を持った経緯が絡んでいると知れば、納得できる。 日本語の前身、大和言葉の時代の日本は、小さな社会だったので、読み音だけで文字の必要がなかった。ところが仏教伝来で、文字の便利さに気付いた日本は、古代中国から漢字を持ち込んだ。その時、大和言葉で「みず」と呼んでいるものは古代中国では「スイ」と呼んでいる物と同じであり、それには 「水」という文字が充てられているようだという、意訳のためのすり合わせが行われた。日本の漢字に音訓のあるのはそれゆえだが、異文化と国境を接していない日本は、物と異なり、人の活動を表す言葉には文化の違いが色濃く反映されていることを見落とした。 「労」という文字にも二面性が生じ、今日引きずっているのはそれゆえだろう。ついでにいえば、「働」という文字は日本製で、大陸では「動」と書き「労動」と書く。生産活動に人と機械の区別はない。表意文字を生んだ大陸では機械のように“こき使われる”のが“はたらく”なのだ。もちろん、日本語の「遊び疲れる」という状況は大陸の人々にもあるが、自発的活動で“つかれる”場合は「累」を使い、「労」は使わない。「労働」の読み音は「ロウドウ」なので、読み音では大陸の「労動」と同じだが、活動思想は180°違っているのだ。 外国人労働者の彼らと日本人との協働は、「お疲れさま」の“疲れる”は「労」ではなく「累」からだということが彼らに身についた頃、ようやく生まれるのだと思う。9すわほうじん 第141号 (第三種郵便物認可) 令和元年8月1日発行

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