すわほうじん145号
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〈菓子歳時記〉その7和菓子が生まれた日 茶道を習っているというか習っていた。流派は表千家で、仕事等が忙しいという僕の口実で、稽古には行けていないのだが、会員の籍だけは残してもらっている。興味がなくなったわけではない。NHKでテレビ講座が始まれば見るし、会報誌が届けば目を通す。その京都の本部から送られてくる冊子には、和菓子に関するコーナーもあったりする。諏訪地方を中心とする氷餅の銘菓「初霜」も登場したこともあった。 先月号だったかその冊子の和菓子コーナーを見ると、和洋折衷菓子について書かれていた。明治時代になると西洋からさまざまな菓子が輸入された。次第に国産の洋菓子も作られるとあった。それを経て、東京銀座の木村屋のあんぱん、カステラにようかんをはさんだ「シベリア」など、和洋が融合した菓子が作られるようになったと書かれていた。※画面はイメージとなります諏訪法人会ホームページトップページ右側にある このバナーをクリックhttp://www.suwahoujinkai.jp諏訪法人会検索で検索いただけます「コロナ対策:社員研修の代替サービス・集合研修として最適!」諏訪法人会のホームページから無料でセミナーがご覧いただけますログインIDとパスワードを入力してログインしてくださいログインID●●●●パスワードログイン●●●●会員ID:hj0907 パスワード:7810会員は専用IDとパスワードを入力してログインする事により多くのコンテンツが視聴可能となります。視聴は無料です会員の方は600タイトル以上のセミナーが無料で受講できますID・パスワードはセミナー・オンデマンドのページからログイン!緊急企画インターネットセミナー(研修オンデマンド)のご案内スィーツオアシスにようこそ昭和三十年代頃まで、量り売りの菓子を入れていたガラス容器。今見るとかえってモダン いつごろからかはっきりしないが弊店でも、洋菓子、折衷菓子を作っていた。数年前に年配の元ご近所さんから、子供の頃食べたロシアケーキが忘れられないといわれたことがあった。僕はロシアケーキがわからず思わず検索した。二度焼きしたクッキーの上にジャムやナッツで簡単なデコレーションをしたものらしい。他にもパウンドケーキなどの型が今も残っている。 そんなこんなを思い出しつつ読み進めると、最後にこのような記述があった。和菓子という言葉は、西洋から入ってきた菓子と別けるために生まれたと。今現在、一九一〇年発行の書籍「家庭実用百科大苑」に記載されたものがもっとも古いという。おおよそそれ以前は、和菓子という単語は存在せず、菓子店はあっても和菓子店はなかったのだ。ちょっとした驚きだった。古代の果物や木の実にさかのぼるとされる日本の菓子にしてみれば、和菓子は新しいワードなのだ。法人会会員「岡谷 精良軒」 原 昭徳

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