すわほうじん第136号
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小さくてもキラリと光る! 精度を極めた工作機械メーカー工作機械メーカーの老舗、岡谷市の株式会社エグロ様にお邪魔しました。本日は五代目社長の江黒寛文氏にお話をお伺いしました。(広報委員 永田・藤澤)会員見聞録江黒社長企業紹介長野県岡谷市御倉町8-14電話: 0266-23-5511株式会社 エグロ企業情報 法人会の事業「税制改正要望」にも毎年出てくる、中小企業の経営力向上設備のための施策、「中小企業等経営強化法」の対象機種に多機種登録されている、エグロブランドの工作機械。社長の温和な人柄から、工場の作業現場でも従業員の方々が、私達広報委員に向け帽子を取り笑顔で挨拶いただきました。日本の製造業を支えてきた、ユーザーの要望に絶対「ノー」と言わない集団に遭遇し、何か勇気をもらった気がしました。資本金  8580万従業員数 180名広報委員 日本には、同業の業者はどれくらいあり、又社員の方々にはどのように伝えていますか。江黒社長 当社はお客様ごとカスタマイズした機械が多く、受注から出荷まで時間を要してしまいます。そこで、最近は「スピード、徹底、責任、お客様に顔を向ける」をスローガンとして社員へ伝えています。同業者については、日本全国800社あまりあると聞いています。広報委員 社長になられ、一番つらかった事はどのような事ですか。江黒社長 いまだリーマンショック前の売り上げピークに追いついていないのが一番つらいです。しかしユーザーから、感謝の言葉を掛けられると本当に嬉しいです。広報委員 精密高速小形旋盤GL-120についてご説明下さい。江黒社長 同機種は、1960年(昭和35年)誕生した、エグロを代表する名機です。歴史的価値のある工作機械の顕彰で、以後ベストセラーになり、現在も年間10台程度ですが生産しています。2006年(平成18年)46年の時を経て、「ロングライフベストセラー賞」を受賞しました。1970年には、卓上旋盤のシェア47%を誇っていた時期がありました。広報委員 本日は、お忙しいところ、ご対応いただきありがとうございます。 まず、御社の歴史的な背景を教えて下さい。江黒社長 1937年(昭和12年)埼玉出身の祖父が東京都板橋区に㈲江黒鉄工所を創立し、工作機械の製造に着手したのが始まりです。1944年戦火を逃れ下諏訪に工場設備を疎開、昭和31年現在地に移転し、株式会社に改組しました。広報委員 江黒社長はいつ社長に就任されましたか。又80年の歴史ある会社の何代目に当たりますか。江黒社長 2011年(平成23年)に就任しました。祖父から数え5代目となります。先代の社長3人も会長他現役で勤務しております。広報委員 エグロブランドの工作機械というと、地元並びに日本各地の精密業者でも知らない人がいないと言われているほど有名ですが、長年に亘り高品質を生み出し続けることが出来ているのは、どのような理由がありますか。江黒社長 私達は、それぞれのユーザーに、80年という歴史のなかで常にお客様の立場で提案し、最適な機械を提供し続けた結果かと思います。広報委員 御社には、信州の名工(卓越技能者知事表彰)がいらっしゃると聞いておりますが江黒社長 平成27年に工作機械の根幹を成すコア技術「きさげ」で当社の社員岩花さんが受賞しました。「きさげ」という手工具(刃具)を使い、平面や軸受けの内面をミクロン単位で且つ手作業で削り落とす作業です。「精度のエグロ」と評価を頂くに欠かせない作業となります。潤滑油が流れる理想的な模様に調整できるまで10年以上かかります。広報委員 最後に社長の趣味と、ご家族についてお聞かせ下さい。江黒社長 妻と長女、長男の4人ですが、長女は東京、長男も今年から東京へ進学し、妻と2人きりとなり寂しくなりました。趣味は、学生の頃からテニスをやっています。又月3回ほど英会話教室へ通ったり、休日にはオフロード用バイクで林道を走っています。広報委員 本日はお忙しい中、ありがとうございました。エグロの原点GL-120「きさげ」作業中の岩花さん8すわほうじん 第136号 (第三種郵便物認可) 平成30年5月1日発行

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