地域社会への取り組み

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諏訪湖の舟の大切さ


かつて諏訪湖周辺にあって、舟は道路交通よりも大切な輸送手段であり、また、農耕生活者が牛、馬とともに同じ屋根の下に生活したように大切な生活必需品、財産であった。昭和の初め頃、上諏訪三俣付近では牛が舟に乗って川を下ったり、また、舟渡川では舟で米を運び、その後、天秤棒でかついで降ろしたり、嫁入り道具を舟で運んだり、豊田に住んでいる人が湊地区へ舟で畑仕事に行くということが目常的に行われでいた。
また、製糸工場で生繭を乾燥させる原料の石炭を上諏訪駅引込線で舟に貨車取りし、柳並川を下り、岡谷まで運んだこともある。舟が柳並川を上がり、現・ちのハイヤー付近で石炭の積込を行ったので、柳並川のこの付近を「ドック」と地元の人々は呼んでいる。さらに、舟を使って泥あげ、運搬に使用した場合は必ず、舟の隅々まで泥を洗い落とし、農作業でわら屑、もみがらなどで汚れた場合も必ず、ゴミを掃き、きれいにして船着場へとめておいた。諏訪湖はしばしば氾濫をし、床下浸水などあったがそうした時、「昨夜は舟の中で寝た」というようなこともあったのである。
このようにこれまで何をするにも舟が必要であり、また、舟を生活の一部として大切にしていたのである。しかし、戦後、次第に道路整備が行われ、乗用車、トラックの普及とともに輸送手段は水上交通から陸上交通へと変わっていったのである。


諏訪湖の舟


長野県町村誌下巻によれば、明治9年に諏訪湖周辺には運送船123隻、漁船689隻、農船283隻、合計1,085隻があった。これを地域的に見ると運送船は諏訪湖釜口に近い平野・川岸村、諏訪湖南部低湿地である豊田・中洲村に多く、同低湿地に広く水田を持つ上諏訪・豊田・中洲の緒村には農船(作舟)が多く、藩政時代にとくに漁業権を与えられていた上諏訪の小和田、湊の小坂・花岡・豊田の有賀などには漁船が多く、利用されていた。

(1)舟の種類
現在、諏訪湖の船は在来舟と観光舟に分けられるが、在来舟は更に大きさ、造り、使用目的より分けることができる。



(2)大きさによる分類
1.大舟
長さ11m、幅のきまりはないが、大体1.5~1.7m位荷物運び専門の舟で、米・30~40俵を積むことが出来た。舟が大きいため、舟の中に補強用の張りを入れた。
2.中舟
長さ10m位。もみを積んだ。
3.小舟
長さ7.5m、幅76cm、諏訪湖では一般的な舟

(3)諏訪湖在来舟の造りの基本的特徴
諏訪湖周辺の気象条件(特に風)、波の状態、冬の氷、舟を使用しての作業目的の多様さから数多くの工夫がされている。
1.海の波のように大きな波ではないので、ヨットのような骨組み(キール)構造の舟ではない。
2.諏訪湖独特の鋭い波は、舟に大きな負荷をかけるが、それに負けない構造とするため、ほて(側舟)を一枚板で造り、前後方向に板を継ぐことはしない。
3.舟は経験的に造り、また、材料の材木の形をそのままに使うので、似たような舟であっても大きさ・形は、少しづつ違っている。また、材木を無駄にしないように造るため、舟により舟巾が違っていることが多かった。したがって、舟の安定性、操縦性は舟毎に少しづつ違う。
4.材料の木は「から松」が多かったが、野天に置いても長持ちし(約10年)、水に強く、木の強度もひのきに次いで強い。また、木質は重く、固いので舟を操縦する際に諏訪湖の風に負けろこともなく、諏訪湖の氷をバリバリ割って進むこともできた。


諏訪法人会(岡谷市、下諏訪町、諏訪市、茅野市、原村、富士見町 )6市町村は、諏訪湖の浄化保護活動、地域の元気、社会への貢献、自然と人間の共生、に取り組んでいます。

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